データと情報と情報の価値
データとは、値である。
それが何の値であるかがわかるなら情報となる。
さらにその情報の発信源、または受信者により、情報の価値は変わる。
一つ例をとってみよう。例えば、ここに
「4,850」
というデータがある。
これはただの値であり、何の数字かわからない。
ここで
「これはトヨタ自動車(株)の2008年8月26日13:07現在の株価である」
ということがわかるならこれは情報である。
この情報は株をやらない人間にとってはほとんど価値はないし、
株をやっている人間、さらにトヨタ自動車の株を持っている人間にはとても価値がある。
また、この情報が信頼出来る株価サイトから発信されているならば
信頼出来るため価値が上がるが、
僕が突然こんなブログで発信しても、
どの程度信頼出来るかがわからないので価値は下がる。
こんな具合にデータは情報となり、情報はその価値が決まる。(らしい)
大切なのは自分にとって価値のある情報を集めること。
んで、本題。
検索しても目的の情報が見あたらない。
結果的にもっと検索ワードを増やしたり、リンクを辿ったりして見つかりはしますが。
最近グーグルで調べものをすると、よくブログがひっかかるのですよ。
それも検索ワードの内容とあまり関係ないブログが。
グーグルしっかりしろよ社員はみんな優秀なんだろうがって思いますが、
増えすぎたブログもどうかなぁと思います。
e-Wordsによるとウェブログとは
しかしレンタルブログの手軽さや日記に向いた特性から、
ただの日記サイトが増えまくり、データがあふれ、
価値のある情報を見つけるのが困難になりつつあるのが現状。
今日何々があった。っていう日記を書くのは自由です。
しかしながら、私の記憶が確かならここはWEB上であり、
僕の机の中の日記帳でも、私の頭の中のケシゴムでもありません。
となると、他人が見る前提で書かなければならないでしょうか?
先生にタメ口をきく生徒がほとんどいないように、
学校の作文で急にです、ます調になるように、
見つめ合うと素直におしゃべりできなくなるように、
基本的に人は相手を考えて話したり、文章を書いたりします。
しかしながら、私の記憶が確かならここはWEB上であり、
一体どんな人が見るのか皆目見当もつかないです。
ただの日記をターゲット層を絞って書かなければならないでしょうか?
検索エンジンの存在を考えれば、ある程度絞ることは出来ます。
大抵はサイトの内容に関心がある人(ファン・アンチ問わず)が来るはずです。
しかし、日記なんてものは本来自分のために書くもので、
交換日記や夏休みの絵日記では相手が限定されています。
しかも日記の話題は広く、浅くなる傾向にあるため、
結局は目的の情報が得られないことが多いです。
検索しても目的の情報が見当たらない。
その責任はどこにあるでしょうか?
今までの文章を見るとブログのせいで価値の低い情報が氾濫しているため、
みたいに読めますが、検索エンジンの方が悪いです。
もっと内容を検索結果に反映するようにして頂きたい。
あと無駄なSEOとかに惑わされないで下さい。
もちろん利用者も検索ワードを具体的に入力する必要はありますが。
ではブログに責任はないのでしょうか?
ないことはないでしょうね。
しかしただの日記の中に求めていた情報を見つけたりもします。
知らないことを覚えるきっかけになったりもします。
現に僕もこうして情報のないブログを書き綴るわけですが、
一般の方から見れば無価値であり、
ROやWIZをやる人から見れば「こんなヤツもいるんだな」位には感じ、
知人から見れば「あぁ、ゴマまだ生きてるんだな」という生存証明になり、
数年後の僕から見れば「あぁ、この頃はこんなことやってたな」という思い出になるのです。
自動販売機を毎日撮り続けているブログがあります。
最初はなるほど面白い試みだと思いましたが、価値は感じませんでした。
なぜならほとんど毎日「変化なし」なのですから。
しかし、
毎日の「変化なし」も変わらず元気だよと妹さんへの報告に思え、
なんだか胸を打たれました。
つまり見る人によって価値は上下するものの、
本当に無価値な情報はないと言えます。
そこから普遍的な価値の高い情報をピックアップするのが検索エンジンの役目です。
長々と書いてみましたが、結局言いたいことは
・文章を書くときは、あらかじめ考えをまとめてから書きましょう。
でないとこのエントリみたいになります。
・最近ROやってないからギルドの人がROブログでもやってくれないかなぁ
ということです。
そんなとりとめもないことを考えた夏の午後。
それが何の値であるかがわかるなら情報となる。
さらにその情報の発信源、または受信者により、情報の価値は変わる。
一つ例をとってみよう。例えば、ここに
「4,850」
というデータがある。
これはただの値であり、何の数字かわからない。
ここで
「これはトヨタ自動車(株)の2008年8月26日13:07現在の株価である」
ということがわかるならこれは情報である。
この情報は株をやらない人間にとってはほとんど価値はないし、
株をやっている人間、さらにトヨタ自動車の株を持っている人間にはとても価値がある。
また、この情報が信頼出来る株価サイトから発信されているならば
信頼出来るため価値が上がるが、
僕が突然こんなブログで発信しても、
どの程度信頼出来るかがわからないので価値は下がる。
こんな具合にデータは情報となり、情報はその価値が決まる。(らしい)
大切なのは自分にとって価値のある情報を集めること。
んで、本題。
検索しても目的の情報が見あたらない。
結果的にもっと検索ワードを増やしたり、リンクを辿ったりして見つかりはしますが。
最近グーグルで調べものをすると、よくブログがひっかかるのですよ。
それも検索ワードの内容とあまり関係ないブログが。
グーグルしっかりしろよ社員はみんな優秀なんだろうがって思いますが、
増えすぎたブログもどうかなぁと思います。
e-Wordsによるとウェブログとは
個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なWEBサイトの総称。内容としては時事ニュースや専門的トピックスに関して自らの専門や立場に根ざした分析や意見を表明したり、他のサイトの著者と議論したりする形式が多く、従来からある単なる日記サイト(著者の行動記録や身辺雑記)とは区別されることが多い。とのこと。たしかにコメントやトラックバックの機能の必要性を強く感じます。
しかしレンタルブログの手軽さや日記に向いた特性から、
ただの日記サイトが増えまくり、データがあふれ、
価値のある情報を見つけるのが困難になりつつあるのが現状。
今日何々があった。っていう日記を書くのは自由です。
しかしながら、私の記憶が確かならここはWEB上であり、
僕の机の中の日記帳でも、私の頭の中のケシゴムでもありません。
となると、他人が見る前提で書かなければならないでしょうか?
先生にタメ口をきく生徒がほとんどいないように、
学校の作文で急にです、ます調になるように、
見つめ合うと素直におしゃべりできなくなるように、
基本的に人は相手を考えて話したり、文章を書いたりします。
しかしながら、私の記憶が確かならここはWEB上であり、
一体どんな人が見るのか皆目見当もつかないです。
ただの日記をターゲット層を絞って書かなければならないでしょうか?
検索エンジンの存在を考えれば、ある程度絞ることは出来ます。
大抵はサイトの内容に関心がある人(ファン・アンチ問わず)が来るはずです。
しかし、日記なんてものは本来自分のために書くもので、
交換日記や夏休みの絵日記では相手が限定されています。
しかも日記の話題は広く、浅くなる傾向にあるため、
結局は目的の情報が得られないことが多いです。
検索しても目的の情報が見当たらない。
その責任はどこにあるでしょうか?
今までの文章を見るとブログのせいで価値の低い情報が氾濫しているため、
みたいに読めますが、検索エンジンの方が悪いです。
もっと内容を検索結果に反映するようにして頂きたい。
あと無駄なSEOとかに惑わされないで下さい。
もちろん利用者も検索ワードを具体的に入力する必要はありますが。
ではブログに責任はないのでしょうか?
ないことはないでしょうね。
しかしただの日記の中に求めていた情報を見つけたりもします。
知らないことを覚えるきっかけになったりもします。
現に僕もこうして情報のないブログを書き綴るわけですが、
一般の方から見れば無価値であり、
ROやWIZをやる人から見れば「こんなヤツもいるんだな」位には感じ、
知人から見れば「あぁ、ゴマまだ生きてるんだな」という生存証明になり、
数年後の僕から見れば「あぁ、この頃はこんなことやってたな」という思い出になるのです。
自動販売機を毎日撮り続けているブログがあります。
最初はなるほど面白い試みだと思いましたが、価値は感じませんでした。
なぜならほとんど毎日「変化なし」なのですから。
しかし、
今日でこのブログを開始して丸3年を迎えました。妹の一周忌に彼女が好きだった「馬鹿馬鹿しくて無意味なもの」を何か作ってみようと思いつき、その翌日2005年8月5日から記録を始めたのが、このブログを作ったきっかけです。という記述を見てから、「ああ、妹さんへの想いが詰まっていたのか・・・」と
毎日の「変化なし」も変わらず元気だよと妹さんへの報告に思え、
なんだか胸を打たれました。
つまり見る人によって価値は上下するものの、
本当に無価値な情報はないと言えます。
そこから普遍的な価値の高い情報をピックアップするのが検索エンジンの役目です。
長々と書いてみましたが、結局言いたいことは
でないとこのエントリみたいになります。
そんなとりとめもないことを考えた夏の午後。
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